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創業融資

創業融資を受けたいと考えています。創業融資というのは、日本政策金融公庫などから
創業時にかなり有利な条件で融資を受けるというものです。
今日は書店で創業融資の本を買って、電車内では三木清の文章を読んでいました。
しかしながら十方衆生の普遍性もなお抽象的である。宗教においてはどこまでも自己が救われるということが問題である。理論の幽玄も論理の透徹も、その教法 が自己を救うものであるか否かという切実な問の前には、何らの権威も有しない。自己は十方衆生のうちに含まれると考えられる。しかし単にかく考えられる自 己は類概念のひとつの例としての自己に過ぎず、生きた真に現実的な自己ではない。十方衆生はそれ自身としては類概念である。宗教的真理は実存的真理、言い 換えると、生ける、この現実の自己を救う真理でなければならぬ。親鸞が求めた教法はまさにかくのごとき実存的真理であったのである。「弥陀の五劫思惟の願 をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。」と『歎異鈔』にいわれている。彼は教を単にその普遍性において見たのではない――それは単に理論 的な態度に過ぎない――彼はこれを絶えず自己の身にあてて考えたのである。『教行信証』において種々の経論を引いて諄々として教法を説き去り説き来る親鸞 は、諸所において突如として転換していわゆる自督の文を記している。
創業融資の事業計画書についてあれこれ考えながらさらに三木清の著作権切れの文章を読みました。
もちろん直接的には創業融資と何の関係も無いですが、行間を読むと見えてくるものがあります。
この劇的な転換の意味は重要である。この自督の文は電撃のごとく我々の心を打つ。今や彼は自己にかえって客観的普遍的な教法を自己自身の身にあてて考える のである。自督とは自己の領解するところをいう。教法の真理性は自己において自証されるのでなければならぬ。教は誰のためでもない、自己一人のためであ る。かくして「十方の衆生」のための教は実は「親鸞一人」のための教である。普遍性は特殊性に転換する。かかる転換をなしおわることによって普遍性もまた 真の普遍性になるのである。今や特殊性に転換した普遍性は現実的に普遍性を獲得してゆく。教をみずから信じた自己は人を教えて信じさせる。いわゆる自信教 人信の過程において十方衆生の普遍性が実現されてゆく。このとき十方衆生はもはや類概念のごとき抽象的な普遍ではなく、自己のうちに特殊性をそのままに含 む具体的な普遍となる。それは同朋同行によって地上に建設されてゆく仏国にほかならない。
創業融資について、また発見があったらお知らせしますね。

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